加藤 六蔵(かとう ろくぞう)・・・ウィキペディアより
・1858年6月6日(安政5年4月25日) - 1909年(明治42年)6月21日)は、明治期の政治家、醤油醸造実業家
・醤油醸造は前芝大橋のたもとで営んでいたよう
・三河国(現・前芝)生まれ。豪商にして代々郷士。豊橋で漢籍を修めた後、1875年(明治8年)東京に出て
慶應義塾に学び、愛知県第二中学校、豊橋商業会議所、鉄道等の設立に関わる。愛知県会議員を経て、衆議
院議員となる。東三倶楽部を組織し、立憲憲政党、中国進歩党等を渡り、憲政本党の要職を得る。
醤油醸造
・醤油醸造は前芝大橋のたもとで営んでいたらしい。
・神野新田に入植してきた移民は藁で囲ったほったて小屋に住んでいて、その藁も加藤家の醤油醸造で使った
中古を買っていたとのこと。(塩害で米が作れない時代で藁は買うしかなかった)
醤油醸造・・・前芝中学校で発見された写真
・上記の写真と橋の形は同じよう
加藤六蔵君碑・・・豊橋百科事典より
・1915年(大正4年)、宝飯郡御津町の新宮山上に建立された。
・銅像は戦争で供出されたのか台座だけ残っている(台座の 加藤六蔵君碑 が同一)
・建立当時の開墾されて綺麗に整備された面影がありませんね
除幕式の時のイベントの相撲
・このような会場では相撲が分かり易く見易いのでしょうね
・神野新田開拓30周年(大正12年)にも相撲大会が催されたとの記録が残っている