神野新田ができた頃の周辺

   記事の中から気になったもの  (牟呂村、神野新田

 花田村より里道を過ぎ牟呂村に至る、この距離およそ一里。

牟呂村は内海に臨んでいたが、近年一大新田を築き神野新田と言い、その広さ一千余町歩あり、豊川の上流より水を引いてこの新田に注ぐ用水がある。

 牟呂の海岸より日々、田原の福江および伊勢地方に航する船がある。

以上より

・明治30年頃は花田村と牟呂村の4Kmを結ぶ道は、役場が道と認めない程の自然道?のよう。

・道路が未発達なのと徒歩では大変なので、牟呂と田原間は航路で行き来が主流のよう。


jinno、神野新田

・タイトル  郷土誌

・著者    愛知県渥美郡豊橋町立高等小学校 編

・出版年月日 明30.6

・URL                http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765001/6

渥美郡(当時は豊橋も渥美郡)と愛知県の村などの解説

神野新田竣成式(明治29年)の翌年発行の本です