六条潟をメインとした地図関係

▶ 今昔マップの豊橋市をサポート【1889(明治22年)~ 】

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  ・ページ左の赤枠部で年代を変更します

  ・左に指定年代、右に現在の 地図が出て

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▶ 旧牟呂、吉田村小字別略図



▶ 豊橋市都市計画基本図【昭和36年)から約10年間隔】

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▶ 明治の地図を途中で見直した日本全国の詳細地図


▶ 豊橋の地図【1879(明治12年)作成 】

 ・毛利(神野)新田紀まだ無く、その場所には広大な干潟が描かれている


▶ 豊橋の地図【1876(明治9年)作成 】


▶ 元豊橋県管轄之図【1871(明治4年) 】

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▶ 三河の地図【1870年】(国土地理院より)

以下、使い方は上の「元豊橋県」と同じです

官板実測日本地図」は、伊能忠敬測量の「大日本沿海輿地全図」小図3舗をもとに、江戸幕府が慶応3年(1867)に編集・刊行した日本図である。



▶ 伊能忠敬の三河の地図 【1821年(文政4年)作成 】(国土地理院より)



▶ 大日本沿海図稿 東海五畿 1811年(文化8年)(徳島大学附属図書館)



 ▶ 三河の地図【1838年(天保9年)作成 】国立公文書館より)



▶ 縄文時代の海岸線の変遷と貝塚の位置と例

 ・豊川からの砂と冬季の西からの波浪で陸地が西に拡大する様子が良く分かる

 ・この辺り新田開拓が本格化するのは江戸時代になってからである

 ・下の画像は「豊橋の歴史」の21ページから借用、ここをクリックでリンクする