・杢野甚七は愛知県下で初めて海苔の養殖をした前芝の人で、海苔養殖を行なったのは、主に豊川河口の
西浜漁場であった
・三河湾一帯へと広がっだのは明治後半になってからであり、その功労者は牟呂村の芳賀保治である
・三河湾一帯でとれた海苔は三河海苔と呼ばれ、愛知県下の諸地域と合わせて愛知海苔となり、全国屈指の
海苔生産地として発展していった
・しかし、戦後三河港の造成にともなって三河海苔養殖の姿はほとんど消えていった。
・甚七は、その功績が認められて明治27年に愛知県知事から表彰された。
・また、功績を永遠に記念するため海苔関係町村が出資し、昭和31年前芝海岸に「海苔創業者杢野甚七碑」
が建てられた。
・明治37年8月3日死去、90歳の長寿であった。
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2021.06.28 森さんから提供